またしても休日前に風邪で倒れました。
急な雨を境に北海道は夏が死にましたからね。
涼しくなるのは良いですが、環境変化で体調が崩れるのはしんどいです。
仕事前じゃなくてよかったというべきか、休暇中寝込む羽目になるというべきか…。
それはさておき、今日は終戦記念日。
今年で76回目みたいですね。
76回目の終戦記念日 不戦の決意新たに 戦没者追悼式、参列者最少 (msn.com)
追悼式は日本武道館で行われたようですがまぁ、参列者が少ないのは仕方ないですね。このご時世ですし。
式典はともかく、私の周りは年寄りが多いので戦時の話はよく聞きます。
あと、私は所謂ゆとり世代でもあるので、道徳の時間でそこそこしつこく戦時教育もされましたね。
今日の話題は、そんな教育の一環……という名の修学旅行で聞いた物語と、それを聞いた私の想いです。
実際に聞いた話ですが、かなりデリケートな話題になると思うので一応、閲覧注意です。
でも、誰かに語り継ぎたい事でもあります。
なので恐れず、いざ本題。
写真は沖縄の『ガマ』と呼ばれる洞穴(画像は拾いました)。
私の高校の修学旅行は沖縄だったのですが、回るところと言えば基本的に沖縄戦の形跡であり、このガマもそんな舞台となったようです。
沖縄の島にはこんな感じの洞窟が点在しているのですが、先の戦争で沖縄が戦場となった際は防空壕の代わりとして日本軍の拠点となりました。
私も現場を見ましたが、武器置き場やら照明置き場やら、それっぽい形に岩が削られていましたね。
しかし、あまり現地人の保護には積極的ではなかったようで、孤島の中で一般人はガマに入れず、戦場に取り残されたみたいです。
現代人故に当時の事を知らない以上、実のところがどうかはわからないのであえて積極的ではなかった、と言っておきます。
あたかも完全に見殺しにしたみたいに教えられましたが、流石に全くやってなかったわけではない……と信じています。
ただ、その時現地のおばぁ(おばあさん)に聞いた話は、今でも忘れられずに記憶に残っていますね。
当時幼い子供だったというそのおばぁは、何とかガマに入れてもらうことができたそうなのですが、もう少し幼かったら殺されていた、と言います。
というのも、ぐずる乳幼児を連れた人はガマに入れてもらえなかったというのです。
当時の日本兵は極限状態。アメリカ兵に見つかることをとにかく恐れていました。
そのため泣き声で敵に見つかる可能性があるということで「ガマに入りたいなら子供を殺せ」と母親たちは要求されたようです。
実際に子供を取り上げられたり、追い出されて有名な集団自決に参加したり、上の子を守るために幼い下の子を親が自ら殺したりと燦々たる有様だったといいます。
旅人の私たちに現地の人たちは暖かく接してくれました。
でも昔話をするときのおじぃ(おじいさん)・おばぁのしんどそうな顔は見ていて辛かったですね。
繰り返しますが、私は現代人なので当時の話の真偽をしっかり確かめる術がお年寄りからの証言しかありません。
ネットに転がっている話は無数にありますが、どれを信じていいものかはわかりません。
ただ、当時を生きた人の話を無数に聞いて確かなのは、間違いなくロクな戦いではなかったということです。
これまた繰り返しますが、当時の日本軍は絶体絶命の極限状態です。
なので細かい倫理観を守っている余裕なんぞありません。それは絶対に仕方のない事だし、頭の片隅に常に置かなければならないことです。
それでも自国の兵士に自分の子供たちを殺すように言われたあの人たちは、果たしてアメリカ兵と日本兵、どっちを強く恨むのかなって、今でも思ってしまいます。
今でも米軍基地の事で問題になりますが、当時を生きたあの人たちにとって、自分の島に国防のためのアメリカ軍がいるって耐えられないことだと思います。
つまり、仇(当時の日本兵)の安全のために仇(アメリカ兵)に土地を奪われている状況になるわけで。
「国の安全のためなんだから仕方ないだろう」という意見もネットではよく聞きますし、私もそれ自体は異論がないんですけど、当の島の人たちが受け入れられないのは仕方ないように思いますね。
その上で、島の人たちにはアメリカ兵と何とか仲良くしてほしいと思います。
結局、彼らが睨みを利かせていることで日本という国全体の守りを固めてもらっているのは事実ですし、島の人たちは言わばその同居人です。
在日の兵士たちの中には「日本兵におじいちゃん殺されました」とか「この国お父さんの仇です」とかいう人も多分いるわけで、何となく心理的に距離が近いように思います。
ぶっちゃけ当時の日本兵と和解するよりはハードルが低い気がするのです。
自衛隊が訓練で失敗しても、ほとんど誰も「自衛隊出てけ!」なんて言いません。
それと同じ感じで、同じく自分たちを守ってくれるものとして親しめれば、きっと少しは色んなことが上手く回り出すんじゃないかなって思います。
いつまでも何かを憎んでいるのって、かなり疲れますからね。
たった一度の旅行。その中で聞いたちょっとした、でも大事な物語。
話を聞いてから10年近くは経ちますが、この話は未だに忘れられず胸に刺さっています。
そして、この思い出が私に新たな世界を思わせ、今もそれを探す旅に駆り立てています。
たった一度の旅ですら、私の中に物語を生んでくれました。
これからも新たな地で、新たな旅を重ねる度に、新たな物語は生まれていくのでしょう。
だから、いつか旅人になるその日のために、世界には平和であってほしい。それこそ安心して世界中を巡れるくらいに。
勿論、もう一度沖縄にも行ってみたいです。今度は古戦場以外の魅力も探しに行きたいから。
きっといつか来る、その日のために。
今はただ、すべての犠牲者にご冥福を。
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Ⅲ勇者クロニクル ~第Ⅰの勇者『黒騎士』~ (syosetu.com)
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