ラノベを読み漁る霰です。
ちょっと色々読んでみて、いくつか思ったところがあるので纏めてみます。
私のブログはたまの食レポ以外、毎度毎度作者の独白って感じですが、読み手の方にも何かの参考になれば幸いです。
というわけで、私自身の作品の傾向と合わせて、いざ。
流行っている作品って結構個人主義。
具体的には、主人公が成り上がるものが多いです。
不利な環境から移動したり、評価してくれる人が現れたりして、抑えられていた主人公の力が発揮されて快進撃を繰り広げる、みたいな。
わかりやすいところだと、ノゲノラになるんだろうか。
(やっとリンクの埋め込みを覚えた)
この物語は、現実世界では世間擦れして引きこもったゲーマーの兄妹が、様々な争いや決め事の勝敗をゲームで決定する世界に転移(作中では『生まれなおす』と表現)します。
現実世界の処世術が無くても、ゲームの世界なら強い。
つまりは手持ちの能力に見合った場所に移動して活躍するわけです。
鬼滅みたいなジャンプ作品の王道は主人公が逆境に対して自分を鍛える、つまり適応するわけですが、 ラノベでウケた作品は環境自体を移す傾向がある感じがします。
ちょっと棘がある言い方な気がしますが、
「世界がこうだったら自分はもっと強いのに!」
みたいな個人の願望を叶えようとする話に読者が共感している感じがしますね。
ここで自分を振り返る。
上記に挙げた例は、力量にせよ環境にせよ主人公が移動することで状況を変えます。
対して私は世界観そのものをある種円満に作ろうとします。
Ⅲクロなら人間に神という天敵を作って数を減らし、戦争やら何やら回避する。
歩く塔なら悪人に悪魔化という明確な罰を作って正しく裁こうとする。
言うなれば、
「こういう仕組みがあれば世界はもっと良いものなのに!」
とこんな感じで、何度も言ってる理想の世界『ユートピア』を作ろうとするわけですね。
個人ではなく、世界に暮らす多くの人にとっていい世界を作ろうとする。
ただしそれが主観である主人公、及び感情移入している読者にとっていい事とは限らない。前述の仕組みとは似て非なるものです。
そんな円満な世界に歪みが生じて、色んな人がそれを補正しようとするという物語の傾向があります。
問題点としては主人公一人で動くわけではないので、話が複雑化しやすいです。
しかも主人公の事情を無視して世界観が大きく展開するので、読者が感情移入したキャラクターが結構ひどい目に遭います。
特にⅢクロはそもそも世界を歪ませた悪役が人間。しかも主人公格がある種の自然現象として行動しますし、頭の狂った戦闘力で悪役認定した人間たちを蹂躙します。
私が書きたい話ではあるのですが読者が人間である以上、現状気持ちよく読めるものではないのは当然とも言えます。
人間側にも名誉挽回の機会はあるんですが、もう少し先の事です。
その見せ場を完璧に描くためにも、今は傾向を掴むこと。
どういう場所に移ればもっと良くなる?
どういう状況に身を置ければ胸を張って生きられるだろう?
……と、難しく考えすぎると結論がしんどいですが、今考えるべきはそういうところなんだろうか。
気楽に詰めていきたいと思います。
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